
中国企業による日本製品の商標権侵害
前の記事までは、日本企業が欧米諸国製品の商標を模造した例を紹介してきました。1908~09年頃になると、中国では中国の製造業者による日本製品の模造品も多く出回り始めます。この記事ではその様子と、なぜ中国の製造業者による日本製品の模造品が激増したのがこの時期であったのかを見ていきます。
中国市場を席巻した鐘淵紡績社製綿糸
下記の藍色の魚を商標とした鐘淵紡績社(後に社名を略称の「カネボウ」と改称)製の綿糸は、中国国内市場を独占するほどの人気商品でした。

中国では日本以上に、商品の品質を保証する指標として商標が機能していました。そのような特徴をもつ中国市場において、自社の商標を模造した商品が出回ることは、単にシェアを奪われるのみならず、自社製品の信頼を失う恐れをも含むものでした。
模造された鐘淵紡績社の藍色の魚商標
1908年、鐘淵紡績は中国において、自社商品のトレードマークである藍色の魚の商標に類似した商標が貼られた商品が販売されているとして、その取り締まりを日本政府に訴えました。
これに応じた外務省は、中国駐在の外交官に模造商品の製造業者について調査し、模造を取り止めるよう交渉するよう命じました。その調査と交渉の報告書が下記のものです。


「2.綿糸商標偽造ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B11091559500、支那ニ於テ本邦専用商標保護雑件(3.5.6.8)(外務省外交史料館)
「よく見ると違う」—— 中国企業の弁明に言いくるめられた日本の外交官
調査によると、模造商標製品を製造した業者は、又新公司(「公司」は「会社」という意味です)という業者でした。そして又新公司は次のように弁明しました。
まず、問題とされている商標が貼られた商品は、景徳和なる人物の依頼に基づき又新公司が製造したものであり、それは下記の商標に明記されていると主張しました。

「2.綿糸商標偽造ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B11091559500、支那ニ於テ本邦専用商標保護雑件(3.5.6.8)(外務省外交史料館)
「CHING TUCK HO」とあるのは「景徳和」のことでしょう。日本と中国の漢字の読み方が異なるように、中国では同じ中国国内でも地域によって幾通りの異なる漢字の読み方があります。「景徳和」は中国の標準語である普通話では、読み方を「jing de he」と表記しますが、中国語をラテン文字表記する方法の一つであるウェード式では、「景」「和」はそれぞれ「ching」「ho」と表記します。いずれも中国南方での発音に基づきます。また、「徳」はマレーシア等では「tuck」と表記します。まだ普通話が制定されておらず、中国語のラテン文字表記も一般化、定式化していない当時において、複数の地域の発音に基づく表記が入り混じることは不自然なことではありません。
その後、景徳和がこの商標製品の製造依頼を停止したので、又新公司は景徳和に注文されていた商標を幾らか改めて、自らの商標として下記を使用していたとのことでした。

同じく「Yu Sing」も「又新」の中国南方での発音に基づく表記でしょう。又新公司は、商標には「Yu Sing Mill.(又新公司)」と書いてあるし、魚の形も数も違うし、色合いや体裁も鐘淵紡績の商標とは違う、つまり「よく見ると違う」と主張しました。
さらに、中国市場における藍色の魚を用いた商標は、複数国の製品で多く見られるのにかかわらず、又新公司のみが責め立てられる道理はない、と述べています。外交官は、又新公司は商標の改正になかなか応じなかったが、交渉の結果、下記の商標への改正に同意した、と報告しています。

元のものとどこが違うのか…というのが、正直な感想ではないでしょうか。しかし、中国駐在の外交官はこれで交渉を終えてしまったのです。もちろん、鐘淵紡績はこれに納得しませんでした。しかし、外務省の指示により外交官が再交渉を申し込むも後の祭り、又新公司がこれに応じることはありませんでした。
「よく見ると違う」ものは模造品ではない —— 中国企業の論法
同じく1909年の8月、日本企業はまたしても「よく見ると違う」から模造品ではないという中国企業の論法に屈していました。
「都乃花」という製品名のおしろいを製造していた日本企業は、「都魚花」という製品名のおしろいを製造していた中国企業を訴えました。これに応じた中国の地方審判庁(地方裁判所)は、販売禁止命令を出しました。

「2.綿糸商標偽造ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B11091559500、支那ニ於テ本邦専用商標保護雑件(3.5.6.8)(外務省外交史料館)
しかし、「都魚花」を製造する中国企業は、地方裁判所の命令に対する不服申し立てを提出します。その中では、「中国の工業はまだ初期段階にあるがゆえ、将来製造するあらゆる商品やその包装は海外製品を模倣せざるを得ない。“ほぼ似ている”か否かを、模造か否かの判断基準とするならば、中国企業に与える影響は甚大である」という旨が陳述されていました。
この陳述は、中国企業の間で大きな反響を呼び起こしました。中国の実業団体は、地方裁判所の命令は不当であるとする決議を採択し、当初の決定を覆すよう裁判所に陳述書を提出します。訴えを起こした日本企業は、この状況下で裁判を続けることは無駄と判断して告訴を取り下げ、中国企業との示談交渉へと舵を切らざるを得ませんでした。
日本で生み出されていた「よく見ると違う」論法
中国駐在の外交官が、商標は「よく見ると違う」から模造ではないという又新公司の主張を受け入れてしまったことからは、当時の商標に対する認識の甘さが窺えます。しかし、これは外交官個人が商標問題に疎かった、という問題ではないかもしれません。又新公司の主張は、日本の刑事裁判においても無罪とされるであろうものでした。
鐘淵紡績の商標に関する交渉の報告書は、1909年3月1日付けのものです。前の記事で紹介したように、その2年前の1907年には自社のウイスキーボトルの商標を壽屋が模造しているとして、ブキャナン社が起こした刑事裁判が行われていました。
この一連の裁判において、大阪地裁は壽屋の商標は赤文字と赤丸が印象的だからブキャナン社のものに類似しているとは言えない、控訴院は類似してはいるけれども模造した証拠が不十分、大審院はブキャナン社が登録した商標を壽屋の西川が知っていたか否かを判断できないとし、それぞれ無罪判決を下していました。ただし、商標にある全ての文言が、ブキャナン社の商標の丸写しであったことは前の記事で検証した通りです。
これを踏まえて、又新公司の主張を改めて見返してみましょう。その主張は、魚の形と数や体裁や色合いが違う、元は景徳和の注文通りに製造したものだから鐘淵紡績の商標を又新公司が真似たわけではない、というものです。日本の裁判所が、壽屋を無罪とした論法と同様なのです。
少なくとも刑事罰に問われないのであれば、模造品製造のリスクは低くなります。ただし、壽屋は刑事罰に問われなくとも、特許局より商標を無効とされていました。同様に中国の地⽅審判庁も販売禁⽌命令を下しましたが、それは中国の実業団体により覆されそうになってしまいました。
「よく見ると違う」「知らなかった」。日本人であろうが中国人であろうが、模造品を製造する者の弁明は同じものになってしまうのは必然なのかもしれません。ただ、この弁明の一致は、必然が招いた偶然ではない可能性も考えられます。
ブキャナン社が壽屋を相手取って起こした訴訟と裁判の顛末は、1907年中にはイギリスの商業会議所の中国支部にも伝えられていました。同年、中国の実業団体は、日本企業の製品に「ほぼ似ている」ことを理由に販売差し止めを命じた中国の裁判所に対し、異論を唱えています。「よく見ると違う」ものは模造品ではないとする主張です。もしかすると、ブキャナン社の刑事訴訟に対し、壽屋を無罪とした日本の裁判所の論法は、イギリスの商業会議所の中国支部を通じて中国企業の間に知られるようになり、援用されていたのかもしれません。
日本企業も続けていた「よく見ると違う」模造品の製造販売
中国市場で圧倒的なシェアを獲得していた鐘淵紡績の模造品を製造していた中国企業が、「よく見ると違う」から模造ではないと詭弁を弄したことに鐘淵紡績が憤ることは当然です。
しかし、その一方で、中国市場において人気を博しているのが他国製品であったならば、日本企業がその模造品を中国に輸出していたことは、前の記事で紹介した通りです。リーバ・ブラザーズ社の石鹸、ボーデン社のコンデンスミルク、それらの日本企業による模造品が出回ったのは、鐘淵紡績が被害に遭った5年後、10年後のことなのです。
そして、そうした日本企業の商法が成立していたのは、そもそも日本で「よく見ると違う」模造商標の商標登録が認められていたからにほかなりません。それが認められる理由は、欧米製品の商標とは「よく見ると違う」商標の日本製製品を製造することが、欧米企業の高品質製品から日本や中国の市場シェアを奪う手段だったからです。
しかし、この手法は、中国における市場シェアを独占し得るだけの高品質製品を製造する日本企業の足枷ともなってしまったのです。
中国市場における日本製品の末路
良心的な中国官憲の協力がない限り、日本企業は中国企業が製造する自社製品の模造品の流通を食い止めることはできませんでした。しかし、1923年に中国に商標法が成立すると、中国政府は法に基づき、商標登録が認定されている日本企業を含む外国企業の商標権を誠実に保護するようになります。
加えて、時あたかも日本による対華二十一カ条要求を機に、反日感情が高まる最中でした。日本製品はボイコットの対象となり、それを模造することのメリットはなくなっていたのです。模造品のみならず、⽇本製品は中国市場から消えていくこととなってしまいました。同時に、日本の対外貿易における満洲地域の重要性が増すことになるのですが、その結果、日本が満洲地域をどうしたのかについては、皆さんご存じの通りです。
【参考文献】
・本野英一『盗用から模造へ 一八八〇—一九三一』早稲田大学出版部、2023年
・吉沢誠一郎「本野英一著『盗用から模造へ 一八八〇—一九三一 ——中日英米商標権侵害紛争史』(早稲田大学出版部、二〇二三年)」『法制史研究 七四』法制史学会、二〇二五年)※書評

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