諸外国に贈られた日本の桜

荒川土手に立ち並ぶ里帰り桜(2024年4月14日筆者撮影)

2024(令和6)年4月10日、岸田文雄総理大臣がワシントンDCを訪問し、日米関係のさらなる強化を祈念するため桜の苗木贈呈式に出席しました(外務省HP「岸田総理大臣の桜の苗木贈呈式出席」)。日本政府から外国政府に桜が寄贈されるのはこれが初めてではなく、実に長い歴史があります。そこで今回は、桜の寄贈に関する歴史について見ていきたいと思います。

荒川堤からワシントンDCへ

白、桃、緑、紅など色とりどりの花を咲かせることから、「荒川の五色桜」として明治時代から親しまれてきた東京・荒川堤(あらかわづつみ)の桜。そのような荒川堤の桜を接ぎ木した約3000本の苗木が、1912(明治45)年に東京市の尾崎行雄市長らの尽力によってアメリカに贈られ、在米日本大使夫人の珍田いはと大統領夫人のヘレン・タフトの手でワシントンDCのポトマック公園に植えられました。これが桜をシンボルとする日米親善の端緒となりました。

その後1920年代には石灯籠を立てる計画が持ち上がり、1930年代には桜の下に記念碑が立てられるなど日米親善は続きました。ポトマックの桜は見事に成長して美しい花を咲かせ、2024年3月にはポトマックの海面上昇により桜が一部伐採されることが発表されました(米国立公園局(NPS)”National Park Service prepares for $113 million multi-year repair to Tidal Basin and West Potomac seawalls“)が、ワシントンDCの観光名所として変らず賑わっています。

他方、故郷の荒川堤の桜は、荒川放水路の工事や第二次世界大戦中の薪の伐採など、様々な要因により枯死していきました。そこで、足立区は1952年からポトマックの桜を里帰りさせる事業を開始しました。その結果、荒川堤に桜が復活することになり、現在も訪れる人々を楽しませています。

荒川土手に立ち並ぶ里帰り桜(2024年4月14日筆者撮影)

日本からドイツ・イタリアに贈られた桜

さて、日本の桜はアメリカ以外の国々へも贈られました。その中でも興味深いのが、1938(昭和13)年の東京市からドイツ・イタリアへの桜の寄贈です。研究成果の蓄積が少ないのですが、参考文献に掲げた①と②が比較的詳しくあります。

元々は、1937(昭和12)年に「大多摩川愛桜会」という民間団体が、日本・ドイツ・イタリアの関係強化のために桜の寄贈を提案したものでした。しかし、その直後に3国間で防共協定が締結されたことから、この提案の政治外交上の意義が強まったため、企画実施は東京市へと移されました。1938(昭和13)年1月には、東京日比谷公会堂においてドイツ及びイタリア大使を招いた贈呈式が行われ、ドイツは防虫予防の観点から桜の種2万粒、イタリアは山桜、染井吉野、八重桜の苗木2000本の寄贈を受けたといいます。

その後この桜がどうなったか判然としませんが、外務省の公文書に興味深い記録がありました。1942(昭和17)年7月にローマ市長ボルゲーゼ(Giangiacomo Borghese)から在伊日本大使の堀切善兵衛宛に桜の植樹に関する書翰があり、さらに外務大臣の東郷茂徳宛へと報告されました。下に掲げたのがその公文書です。

「35.羅馬市」(所蔵機関:外務省外交史料館/請求番号:G.1.1.0-3)。出典:アジア歴史資料センター(Ref. B04121012100)。

ボルゲーゼが言うには、ローマ市は従来日本国民に多大な好意があり、「其赫々(かくかく)タル戦績ヲ感嘆注視シ居ルコロ 今回斯(かか)ル心情ヲ表示ス」るために、ローマ市の街路を「パナマ通り」から「日本通り(viale giappone)」に改称し、東京市から寄贈された桜を植え付けることになったということでした。

この「日本通り」とその桜が現存しているか分かりませんが、ローマのウンゲリア広場(Piazza Ungheria)にかつて「日本通り」と呼ばれていた「パナマ通り」があり、桜の名所として知られているそうです。ただし、イタリアの各種サイトによると、1921年に裕仁親王が訪欧した際に桜を植えたのがルーツだとされています。さらなる調査が必要です。

日本からメキシコに贈られた桜

さらに、メキシコにも桜が寄贈される計画がありました。1931(昭和6)年7月、メキシコのパスクワル・オルティス・ルビオ大統領(Pascual Ortiz Rubio)から、大統領官邸のあるチャプルテペック公園に日本の桜500本を植えたいとの要望がありました。この時のやりとりもまた外務省の公文書に残されています。

メキシコへの桜の寄贈は、日墨の親善関係の促進に有意義であるとして、外務省本省や在墨公使館、日墨協会で検討が進められました。しかし、日墨協会がメキシコ市在住の植木職人・松本辰五郎に相談したところ、桜のメキシコへの移植はこれまでも行われてきたものの、気候の関係でいつも失敗しており、今回も成功するかどうか分からないと懸念が示されました。

そこで、まずは試植することとし、日墨協会の手配で桜の苗木12種120株、日本と中国が特産である公孫樹(イチョウ)の苗木10株、苗木植付用の栽培土、吉野桜の種子が横浜港から送られ、同年12月23日に到着しました。桜の試植は松本辰五郎によって行われ、チャプルテペック公園の一角に植えられたようです。

「本邦ニ於ケル協会及文化団体関係雑件/日墨協会関係 2.桜樹苗木寄贈関係」(所蔵機関:外務省外交史料館/請求番号: I.1.10.0-2)。出典:アジア歴史資料センター (Ref. B04012418300)。

上記の公文書ではここで話が終わります。参考文献の④によると、松本から両国政府に対して、やはりメキシコでは桜が育つ可能性が低いという報告がなされたようです。

桜の寄贈は果たせなかったのは残念でしたが、松本はこれより前の1920年代に、メキシコでも問題なく成長すると考えたブラジルのジャカランダを植えることを、当時のアルバロ・オブレゴン大統領(Álvaro Obregón Salido)に提案していました。現在、このジャカランダはメキシコ市内の大通りで美しいすみれ色の花を咲かせています。

桜の寄贈の研究

このように、国際親善や政治外交上の目的により、日本からアメリカなどの欧米諸国に桜が寄贈され、または寄贈の計画が立てられたのです。先の岸田総理の桜の寄贈もこのような歴史をふまえて実施されたものです。

また、今回紹介したのはほんの一部の例であり、欧米諸国の他にも寄贈された国はたくさんあります。しかし、先行研究の積み重ねが決して多くはない分野ですし、外国で発表された論文も調べる必要があります。もし興味がある方は、まずは歴史資料を調査してみたらいかがでしょうか。新たな発見があるかもしれません。

いずれにせよ、2024年度も桜が美しく咲き誇っています。今年も桜を楽しみましょう。

【参考文献】
①渡辺辰次郎(編)『桜の多摩川』大多摩川愛桜会、1938年。
②安松みゆき「忘却された「防共桜」の植樹をめぐって:多摩川浅間神社の桜と日独文化交流」『別府大学紀要』56、2015年、23~35頁。
③矢澤優理子・鈴木誠「NPO法人あらかわ学会による東京都足立区の「里帰り桜」に関する調査結果報告」『ランドスケープ技術報告集』3、 2024年、110~113頁。
④セルヒオ・エルナンデス・ガリンド、アルベルト・松本(訳)「松本辰五郎とメキシコ・ジャカランダの花のマジック」(2024年5月3日最終閲覧)

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